nine.ten coffee weblog

おうちカフェ「nine.ten coffee」のブログです。今のところ単なる趣味です。

昔話3。マキネスティの衝撃

2000年よりも前、まだ20世紀だったころの日本のおうちエスプレッソ事情は、それはもうほんとうに寂しいもので、情報がほとんどなかった。あるといえば、ひとつふたつのサイトといくつかの掲示板のようなものだけ。救いだったのは、それらのサイトもエスプレッソが好きな人が立ち上げたもので、ひととおり情報が網羅されていたこと。そんなサイトの掲示板で、たびたび話題になっていたのが、当時、赤羽橋にあったカフェ「マキネスティ」だ。

 

マキネスティは、今でこそおなじみのイタリアのエスプレッソマシン、La marzoccoを日本で最初に導入したと言われる店。マキネスティではラマゾッコと呼ばれていたので今でもぼくは“ラマゾッコ”派なんだけれど、世間一般的には“マルゾッコ”と呼ばれていて、La を読むか読まないかの違いなんだけど、なんだか未だに違和感がある。

 

もうひとつ、このお店の特徴が、シアトルの有名店Espresso Vivaceの豆を使っていた、ということ。Vivaceといえば、オーナーのDavid Schomer氏が世界で最初にエスプレッソのキャンバスにスチームドミルクでデザインを描き始めたと言われている。いわばラテアートの第一人者だ。そしてVivaceの豆は、そのDavid Schomer氏のもとで修行し、氏に認められないと扱うことが許されない、ときたら、先のマキネスティが話題になるのも自然なことだろう。

 

当時、大田区よりの品川区に住んでいたぼくにとっては、マキネスティに行かない理由がなかった。店を入ると、目に飛び込んでくる真っ赤なラマゾッコのマシン。たぶんFB70とかそのあたり。今でこそどこにでもあるマシンだけれど、それがとても格好よかった。

 

カウンターで注文するは、もちろんカフェラテ。席まで運んできてくれるのかと思いきや、「少々お待ちください」とカウンターで待たされる。エスプレッソマシンを操作したかと思ったら、カップとピッチャーを手にカウンターに。え? と思った瞬間、バリスタのお姉さんはピッチャーのミルクをカップに注ぎ始め……瞬く間に美しいロゼッタが描かれたカフェラテが完成した。

 

すごい! このとき、まさにラテアートを初めて見た瞬間。まるで魔法のようだった。

 

味も衝撃的だった。めちゃくちゃ甘い。甘味料の甘さでなく、コーヒーの甘さ。いや、ミルクの甘さなのかも。そして、ものすごく深くコクのある味。でも決して苦くない。味のレイヤーが幾重にも重なった、それまでに経験したことがない、とても豊かな味のカフェラテで、今まで飲んでいたのは何だったかのか、というほどに、歴然とした質の違いがあった。

 

マキネスティでは、もちろんVivaceの豆も買った。ドルチェブレンドとビータブレンドの2種があり、カフェラテに使っているのがビータということで、ビータを。ただ値段が高かった。うろ覚えだけれど、たしか200gで1500円くらい。なぜこれほど高いのかというと、毎週シアトルから空輸しているからだそう。しかも焙煎後2週間以内の豆しか使わない、というこだわりがあった。

 

Vivaceの豆は、デロンギのマシンで抽出しても明らかに違いがわかった。とにかく粘度がものすごく、ショットの半分以上が赤茶色に覆われたクレマ、みたいなエスプレッソが抽出された。よくエスプレッソの理想的な抽出状態を表す言葉に「ハチミツのような」というのがあるんだけれど、Vivaceの豆はまさにそれ。この豆を使うようになって、家でつくるカフェラテのクオリティが一気に上がった。

 

あるとき、マキネスティにいつものように豆を買いに行くと「まだこの豆は焙煎してから日にちが浅いので、もしかすると青臭さがあるかもしれません。でも、少し寝かせると味が落ち着いてきますよ」と、例の凄腕バリスタの店員さんに言われ、そのときから焙煎してからの時間、つまり豆の鮮度に気を配るようになった。と同時に、自然と大手コーヒーチェーンからは足が遠のいていった。

 

鮮度を含め、良い豆を使えば、家でも美味しいカフェラテが飲める。しかも、そのへんのカフェチェーンよりも断然美味しいカフェラテが……。これに気づいてしまったぼくは、ますますエスプレッソ沼へとハマっていくことになる。

マキネスティ

Espresso Vivace